阪神タイガースで活躍された横田慎太郎さん。
2016年のシーズンは若干20歳で開幕戦スタメンで出場し、誰もが将来を期待する選手でした。
しかし、現役選手真っ只中の2017年2月に脳腫瘍が発覚しました。
その後、復帰を目指しリハビリを続けるも2019年に引退。
闘病の末、2023年7月18日 午前5時42分にご家族に看取られる形で28歳の若さで永眠されました。
この記事では、そんな横田慎太郎さんの闘病生活の最後の様子をご紹介いたします。
この記事では横田慎太郎さんが闘病生活に大切にしていた言葉もありますので、今闘病されている方の励みになればと思います。
横田慎太郎は脳腫瘍を患っていた
横田さんは阪神タイガースの選手として活躍していた2017年の2月に脳腫瘍が発覚しました。
病気が判明した後、横田さんのお母様がすぐお仕事を辞められて、看病されてたそうです。
医者からは「野球のことは忘れなさい」と言われ、頭が真っ白になったそうです。
小さい頃から、プロ野球選手になるのが夢だった横田さん。
ずっと白球を追い続け、苦しいトレーニングを経て、ようやくプロ野球選手になった横田さんはどんな気持ちでその言葉を聞いたのでしょうか。
放射線治療や抗がん剤治療は想像を絶するきつさだったそうです。
しかし、そういった状況にもかかわらず「もう一度プロ野球の世界に帰るんだ」と目標をもって厳しい治療と闘っていたそうです。
復帰を目指し、リハビリを続けるも2019年に引退を決断されました。
横田慎太郎の引退後
横田さんは阪神タイガースを退団後、ご自身の経験などを話す活動を続けました。
その中で、同じような境遇に苦しんでいる方に向けて、以下のメッセージを残されています。
今苦しい思いをされている方 悩み苦しんでいる方
絶対に自分に負けず 自分を信じて
そして目標をもって 目標から逃げず
少しずつ少しずつ前に進んでみてください
きっと幸せが来ると思います
この言葉は、講演の時に話された言葉です。
横田さんが一番辛い状況だったと思いますが、同じ境遇の方を励ますメッセージを伝えることができる人格者であることが伝わってきます。
実際、矢野燿大監督も
野球人として、人としてあんなにまっすぐな人はいない。
とインタビューで語られていました。
横田慎太郎の脳腫瘍は脊髄に転移して失明していた
2023年5月、鹿児島実業の野球部宮下正一監督との写真です。
この時、「あと2週間で、、、」と医者に診断されていましたが、それから2か月病気と闘い抜きました。
この時には脳腫瘍は脊髄や他の臓器にも転移していたと言われています。
さらに右目も失明していたといいます。
宮下監督からも、「まじめで純粋な選手でした。」
と言葉があるとおり、どんな人からも愛される人だったことが想像できます。
横田慎太郎さんの最期
2023年7月18日 午前5時42分にご家族に看取られる形で28歳で永眠されました。
闘病中は、毎日ご両親が寝食をサポートし、横田さんのお姉さんも可能な限り一緒にいる時間を大切にされたそうです。
お姉さんは「最後は明るく送り出してあげたかったんです」と笑顔で過ごすことができたようです。
まとめ
2023年のシーズンの阪神は後半戦の快進撃もあり、セ・リーグで優勝しました。
優勝を決定した試合で、横田さんと同期入団の岩崎投手が栄光の架橋を入場曲に選びました。
この曲はもともと横田さんが現役時代に使用していた入場曲です。
「亡くなられてから、横の分も背負って戦ってくと決めたので、そういう思いでマウンドにあがりました」
岩崎投手は試合後会見でそう語っています。
2023年のシーズン、横田さんも一緒にペナントレースを戦っていたと思います。
横田さんの闘病生活は長く苦しいものだったと思いますが、彼が生前に残した生き方やメッセージがたくさんの人の励みになっています。
また、周りの人々の発言や行動から、いろんな人に愛された方だったことが伝わってきます。
28歳という若さでしたが、短く太い人生を歩み、今後もたくさんの人を元気づけていくことでしょう。
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